PEOPLE

自分が死んでからも、
ずっと残るものをつくりたい。

株式会社パラドックス 東京オフィス ブランディングプロデューサー 竹内 亮介

ロジックのないアイデアは弱いし、アイデアのないロジックも面白くない。僕が譲りたくないのは着想です。右脳と左脳を絶えず行き来して企画する。それを何よりも大事にしてきました。クリエイティブからブランディングへ自分の仕事の重心が移行してからも、それは変えていません。お客さんと一緒に考えながら、ああでもない、こうでもない、本当にそれでいいのか、おもしろいのか、もっと違う方法はないか。揺るがないロジックがありながら、この会社でしか言えないおもしろさを見つけるまで、チームのメンバーにもお客さんにも意見しながら粘ります。たくさんの情報を整理しているとき、考えているとき、まとまらないときなど、プロジェクトは苦しいときのほうが多いかもしれない。でも、「これだ」というアイデアが降りてきて、想像していた以上のところにたどり着き、みんなが膝を打つ瞬間が訪れる。そのとき、それまでの生みの苦しみがぜんぶ歓びに変わる。それを僕は知ってしまったから、これからも追い求め続けるのだと思います。

パラドックスに新卒入社したのは、周りの人より少し遅い26歳のとき。グラフィックデザイナーとして他社から内定もいただいていましたが、単なるクリエイターじゃなく、経営者と向き合って、経営の話もしながら真ん中で案件を動かす働き方にワクワクして、僕はパラドックスを選びました。エントリーシートには「自分が死んでからも残るクリエイティブがしたい」と書いて、お墓の上をデザイン年鑑を持った天使が飛んでいる絵を描いたのを覚えています。それから11年、経験してきたどの仕事も意味がある仕事でした。志のある経営者から多くの影響を受けました。育てていただき、僕の世界観も広がりました。いい会社、いい商品が生き残って、志に共感したファンが増えてカルチャーが醸成され、ブランドが次の時代に繋がっていく。そうすることが僕の使命だと思うようになった。後世に残るようにとつくるものが、より大きなものに変わりつつあります。

竹内 亮介

福井県出身。幼少期からスキーをはじめ、中高は県代表として、ほぼ雪の上で過ごす。大阪の大学、専門学校でデザインを学び、2011年、入社。採用広告の制作からキャリアをスタートさせ、現在ではオーナー系志企業の理念策定、経営戦略づくり、そして実現に伴走している。アイデアの力、経営者との近い距離でのコミュニケーションが強み。

生き様、様々。
RECOMMEND PEOPLE

もっと読む